【4】ある日の撮影日記2

『叙情都市名古屋』 【木村一成写真集】

2011年9月25日の探訪記  (写真と文:歴遊舎)

今日は、午後からの取材スタートになりました。どんな風景に出合えるか、どんな人と交流できるのか、毎回シナリオのない探訪です。

名古屋市緑区の有松裏という土地は、名鉄有松駅の北側の丘陵地にあたるのですが、この斜面から丘の上にかけて住宅が密集しています。そんな坂のある風景を撮ってみよう、となったのです。まずは、その土地全体の雰囲気を、対向斜面から見てみましょう。

有松小学校の裏手の崖っぷちから、北を見ます。眼下には旧東海道の有松宿の佇まいが左右に広がっています。この東海道と並行して、谷底を名鉄名古屋本線が走っていますが、家並みに隠れて見えません。その向こうにせりあがっていくのが、有松裏の丘陵地ですが、マンションや大型ショッピングセンターが建ち並んで見通しは効きません。この界隈は、名古屋城からは直線距離で10㎞も離れていますし、旧知多郡ですから、やはり広大な濃尾平野にダイレクトにつながる平坦なイメージのつよい名古屋城下町とは、趣が大きく異なります。

しかし、現在ではまぎれもなく名古屋市緑区として新しい歴史を刻んでおりますから、その移り変わりのようすが歴史的な街並み景観のなかに、どんなふうに馴染んでいるのかいないのか、いろいろ感じてみたかったわけです。

この後、有松裏の方にも足を向けて、坂道がつづく新しい町並みを歩いて、住人のみなさんと立ち話をしながら、家が建てこむ前の風景の記憶などを語っていただきました。そんななかから1カット、今回の写真集には収録されています。

そして、お決まりではありますが、伝統の有松絞りで知られた江戸時代の風情を色濃く残す有松の宿場町へ降りて、歩いてみました。ここは、東海道五十三次の宿駅では、39番目の 池鯉鮒(ちりゅう)宿と40番目の鳴海(なるみ)宿の間にあって、旅人を泊める施設はありませんでしたが、東海道の土産物として人気も高かった「有松絞り染めの反物」のおかげで、大繁盛していた街並みなのです。

旧街道の彼方を銀色の高速道路橋が、ズドンと横切っていますね。2011年3月に開通した名古屋第二環状自動車道という都市高速道です。通称で「名二環」と呼ばれています。

確かに歴史的景観を台無しにしている建造物には違いありませんが、財政逼迫の折、地下トンネル化するには、余りにも金がかかりすぎる上、都市交通体系の早期整備に関するいろいろな思惑もからんで、かくなる結果になったわけです。木村は、これもまた近代における日本の都市風景のひとつの典型でしょうけど・・・と、シャッターを切っておりましたが、「しかし、ここは夕陽による色彩マジックでも借りないかぎり、やはりアンバランスが目立ち過ぎますね」と語っていました。

歴史的景観と近代構造物との取り合わせが不思議だ・・・という程度の浅い認識で撮影すると、写真が勝手に社会批判性を帯びる方へ引きずられて、癖のある意味をもってしまいかねないし、ここに住まう人たちの住民感情を慮ると、どうなんだ、この景観・・・と、興味本位の撮影を慎んできた姿勢を、ここでも崩すことはありませんでした。木村は、早々とカメラをしまいこんで戻ってきました。

あくまでも、その土地に住む人びとの気持ちに寄り添った写真を撮ってきたなかに、違う何かを入れたくないようでした。この心栄えこそが、『叙情都市名古屋』の作品群を貫く精神なのです。

さて、この旧街道を先へ進み、鳴海宿へ向かってみました。

鳴海宿の中心部に入る直前で、扇川という都市河川を渡りますが、そこに架かる中島橋の上にさしかかったとたん、われわれは同時に、風景の発する「気」のようなものを感じて、移動する車を停めました。

車は、川沿いのちょっと奥まった場所に停めさせてもらいましたが、そこがまた不思議な空間でした。

庇の骨組みが残っている感じや、全体のつくりから、市場のような空間を駐車場に充てたような印象の建物。この近所にある魚七食品有限会社の駐車場になってはいますが、昔の話を聞けなかったのが残念です。

この駐車場の目の前に扇川が流れ、相生橋という名の、人と自転車しか通れない狭い橋が架かっています。そして川に沿って自転車道が付けられて、近所の人たちが散歩したり、ジョギングしたり・・・。近くに名鉄鳴海駅があるものですから、そこと旧東海道をつなぐ近道に、この相生橋が利用されてもいるようですが、橋の上から何本か釣り竿が伸びています。

聞けば、ハゼがよく釣れるとか。高校生の男子生徒2人組がクーラーの中を見せてくれましたが、おお、すでに形のいい30匹ほどの釣果が上がっていました。ふたりとも、なんだか、おっとりした、まるで少年のような雰囲気を残した釣り好き青年だったので、思わず木村は撮影させてもらいました。

撮影中にも、狭い橋の上を年配のご夫婦が散歩で通ったり、乳母車を押したおばあさんが通ったり、買い物帰りの主婦が自転車を曳いて通ったり、もう頻繁に人の往来はあるんですが、なぜかみなさん、「今日は、釣れるかね・・・」だの、「汐が満ちてきたかや?」だの、なんか一言ぼやいていきます。ときには、撮影中の木村にちょっかいを出したりする人もいて、まっすぐ通れない自転車の人は困ったでしょうが、そんな人たちもさして迷惑そうな顔をしていないんですね、急いでいたとしても・・・。

こういう場合、大都会では、早くどけと言わんばかりの不機嫌な顔をつくって、他人を牽制する人が非常に多いものなのですが、どうしたわけか、この狭い橋の上では、みなさん顔なじみでもなさそうなのに、妙に朗らかで屈託がないのです。これぞまさしく、名古屋の「まぁ、ええがねぇ~」の心でございましょう。

「まぁ、まぁ、そう急がんでもええがねぇ~」「そう、いきりたたんでもええがねぇ~」 悪気があるはずもない場合、まぁ、ちょっとくらい迷惑をかけるけど、赦しておくんなさいよ・・・。そうした鷹揚さを相手に求めて、その場を暖かく収める名古屋流のお互い様精神。いいですね、こういう穏やかな雰囲気は。

すると、そのとき、撮影していた青年たちの背後から、若いお父さんの「うわ~、なんか、違うもんを釣っっちゃったよ~」の悲鳴のような半ベソの声が・・・。

奥さんも、びっくりして覗きこみます。あれれ、亀を釣りあげていますね。ハゼ釣り用の細い竿が弓なりにしなってしまうので、諦めて糸を持って引き揚げています。周りにいた人も集まってきて、しだいにその場が笑いに包まれていきます。

困り果てたお父さんのうろたえる様子が正直で、なんか、とてもいい雰囲気です。やっとのことで釣り上げた亀の口から釣り針を外そうと、お父さんはまた奮闘です。小さな息子も、駆け寄ってきて、もう興味津々・・・。

お母さんもどうしたものかと、お父さんの狼狽ぶりを気にしながらも、この椿事を楽しんでいるようです。やっと針が外れたものの、亀は首をすくめたまま甲羅に閉じこもってしまいました。そんな様子をカメラに撮っていたお母さんに、地面スレスレにカメラを置いて、手前に亀を入れ、お子さんの顔を下から撮ると面白いですよ~などと、アドバイスします。

お母さんは素直です。その通りに撮ってみたら、今までにない変化のある写真が撮れたものだから、俄然、カメラのアングルというものが面白くなったようで、ウキウキしているようでした。

この無垢な感じのお母さんと、その小さな息子さんを川沿いで撮影させてもらいましたが、一騒動あったあとの和んだ雰囲気のままに、とても素直に撮れました。夕闇が近づく束の間に出会った、扇川の人情でした。橋の名前が相生橋というのも、なにか、こうグッと来ましたね。写真集では、どんな表情で写っているのでしょうか。

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